匿名だから自作自演しまくり!?の質問サイト
Yahoo!知恵袋や教えて!gooなど、誰でも気軽に無料で質問出来て回答したい人が匿名で回答するというスタイルのいわゆる「質問サイト」はたくさんあります。
よっしーもたまに質問サイトからブログのネタを拾ってくることがありますけど、こういう質問サイトで真面目な質問をしても、必ずしも的確な答えが得られるとは限らないのです。
なぜなら回答者も匿名でどこの誰かもわからない人たちなので…「私は医師です」などと書いていても、実はそうではないことだっていくらでもあるでしょう?
また、気分がいい話ではありませんけど、質問サイトでは匿名なのをいいことに自作自演が横行しているそうですね。
たとえばYahoo!知恵袋でA・B・Cという3つのアカウントを所持している人がいるとします。まずAさんが「糖質制限ダイエットが流行っていますが、本当に大丈夫なのか心配です」と質問をします。
すると今度はご本人がB名義でログインし「糖質制限は絶対に危険なのでやめましょう!僕の友達はあれで病気になりましたよ」と書き、今度はC名義でログインして「糖質制限は私も危ないと思います。それよりこのブログが参考になりますよ」とURL(実は自分のブログwww)を張り付けるわけです。
そして再びA名義でログインしてBまたはCの解答をベストアンサーに選んで「ありがとうございました、とても参考になりました!糖質制限はやめます♪」とお礼を書き込めば終了です。
糖質制限がキライな方や、ダイエットメソッドだのサプリだのを販売したい方がこのような手口でさりげなく宣伝を行っているんですね。
もちろん全員がこのようなことをしているわけではなく、中には真面目に回答している方もいらっしゃるでしょう。
でも明らかに自作自演の方(なぜ分かったかは、教えない♪)が混じっているので、アホらしいので私は質問サイトは一切利用しておりません。
普通の感覚をお持ちの方は「そこまでする人がいるのか?」と呆れると思いますけど、中にはいらっしゃるんですよ…本当にドン引きするぐらい「そこまでする」方がね。
「私は医師です」と名乗る方は本当に医師ですか?
江部康二先生や宗田哲男先生など、ネットで顔と本名を公開して医師として糖質制限の情報を発信していらっしゃる先生方はけっこういらっしゃいます。
それに対して反論する先生方も当然いらっしゃるのですが、中には「自分は医師です」あるいは「私は管理栄養士です」などと名乗っておきながら匿名の方も💦
「自分は専門家です」「専門家の立場として云々~」とおっしゃるのなら、ネットの世界で匿名では説得力がありますまい。
よっしーのようなただの素人ブロガーならいいんですけど、医師を名乗る方が医師として発言するなら自分の正体を隠したままでは信用されなくても仕方がないのではありませんかね?
以前、ある方のブログに「自分は管理栄養士です」と書き込みをした方が明らかに管理栄養士ではないと判明したことがありました。
なぜなら、管理栄養士なら絶対に知っているはずの「あること」を明らかに知らない様子だったからです💦
ネットではこういうことをしても分かる人にはすぐ分かるので、書き込みをするときは気を付けないとね~♪ 本のレビューなんかにもよくありますね。
ネットだけの情報なんてどこまでアテになるんだか…
「私の友達が…」「俺の体験では」何でも話を作ろうと思えばいくらでも作れちゃうんです。だって、わざわざ証拠を見せる必要はないんですから。
そういう意味では、よっしーや他のブロガーさんたちの体験談を読んだ誰かから「こんなの嘘だ、こんなにうまくいくわけがない!」と思われてもまぁ仕方が無いと思いますね💦
ただ本当にヤバイことが起きた場合、医師は症例報告をするはずなんですよね…「私の友達は糖質制限で重病を発症しました!」とか、本当なら重大な問題として報告されているはずだと思うのですが。
糖尿病専門医である主治医に「〇〇って本当なんですか?」って質問したら「いや、そんなの聞いたことないwww」なんて答えが返ってきたりします。
リアルだろうと顔出しだろうと間違っていることはたくさんあるはずですけど、ネットで匿名で「私の友達が…」とか「こういう感謝のメールをいただきました」とか、基本的にアテにならないと思ったほうがいいですよ♪
だってそんなの、書こうと思えば何とでも書けるじゃないですか。架空の人物、架空のメール、架空の成功談や失敗談…
じゃあ誰を信じたらいいの?
誰の発信する情報を信じたらいいのかは、とても難しい問題だと思います。中には事実でないことを巧妙に事実っぽく語る技術が天才的な方もいらっしゃるからです。
結局は自分でもいろいろやってみて、自分の実体験としてどうなのかを確かめてみるしかないと思うんですよ。
すると「あれっ、あの先生はこう言ってるけど自分の場合は正反対の結果が出た」などと気づくわけです。結局、最後に信じられるのは自分なのかもしれません。